BlogTop > Memo > about Photo

about Photo Archive

ドラマ「農ドル!」のサイトに撮影した写真を使っていただいています

農ドル!のサイトがリニューアル(ロケ後サイト)に変更されて、写真をふんだんに使っていただけました。

農ドル!

これの写真ギャラリーとか、僕のギャラリーでもあるよね。


放送は、島根県内で7月2日で、その2週間後に中国地方での放送です。
・・・早く全国放送してくれないかな~と期待中です。

ところで、A1サイズのポスターもできあがるはずなのですが、このサイズまで大きいものに写真を使ってもらえるのは初めてです。
(まぁ、実は劇中でのポスターで既に使われているんですけどね)

出来上がりが楽しみです。ところで、どこに貼られるんだろう・・・。
また、ロケ撮影の仕事とかやりたいな〜。

実はドラマに初出演です(エキストラだけど)

ところで、私事?で恐縮ですが、今回のドラマで、実は初のテレビでびゅうをしました。

まぁ、エキストラみたいなものですが、主演の平田薫さんと共演です。(とか言ったら良識ある人から怒られそうだな・・・)
監督がおっしゃるには、「演技は勉強している人でないと厳しい」とのことだったのですが、フォトグラファー役だったので「演技しなくて良い」ということだったのでしょう。
とはいえ、普段使わないようなセリフが脚本に書いて合って、「このセリフ言わないとダメですか?」とお伺いを立ててみたりもしました。・・・そうですか、言わないとダメですか。(どんなセリフかは、ドラマを見てください。カットされている可能性もありますが・・・基本的には背中出演です)

さて、で、カメラの枠内に立ってみて初めて気がついたことがあります。
[1]ライトが一杯焚かれていて、実はすごく「暑い」ということ。ハロゲンライトみたいなのは僕がよく使って、熱いことは知っていたのですが、立ってみるとこうなのか!と思いました。被写体に気を使わないとなぁ〜と。
[2]いざ台詞を言うとなると、どういう声のトーンで言えばいいのか、自分の声の出し方が果たして意図した通りに聞こえるのかどうか全く分からない・・・という不安を感じました。(だから、トレーニングや経験の中で、自分の「見え方」の地図を持っていない人は厳しいのかな?と思いました)・・・台詞を言うテンポや大きさ、トーンもよくよく考えたらすごく大事なはずなのですが、あまりに自分のことを知らなさすぎてすり寄せることができない・・・。そう考えると俳優さんってすごい!と改めて感じました。
[3]カット!!されてから、しばらくの時間、映像の見切り(写り込み)や技術関連のチェックがその場で監督や音声、記録担当で行われるのですが、その間の待ち時間の落ち着かなさは相当でした。それで良かったのか?などなど。結構、その場その場でのフィードバック、「ここがダメ」「ここはいいね」というようなのは欲しいと思ったし、俳優さんもそうなのかな??とも。

今後、自分の仕事の中でもこの経験は生かせそうな気がします。

ドラマ「農ドル!」ロケから帰ってきました

何気にご無沙汰な更新です。

余裕があれば松江滞在中にも何かしら更新を!!と思ったのですが、
ムリでした・・・。苦笑
そして、帰京後は溜まっていた仕事を片付けていて(別のまだ終わっていないのですが・・・)。
まぁ、twitterでツイートはしていたんですが、何気に忙しかったのです。

さて、松江のロケのご報告をば。

今回は、NHK松江局の地域発ドラマのロケの記録撮影に伺わせいただきました。
山陰地方というだけあって、どんよりとした天気であることが多いらしいのですが、クランクインからの一週間は時々曇りつつも、すごく晴れていました。(以前、松江に
行ったときもそうだった・・・)。

何気にその昔、デビルマンの映画撮影の現場やPV撮影でジャケット写真の撮影に、映像撮影の現場に同席していたことは過去に何度かあるのですが、本格的に記録ーそれも1週間近くともなると初でして、とても楽しみでした。(一週間もあると、通常とは違った仕事のでリフレッシュもできるだろうなぁと)。

全体的なところで報告をするなら、各職種のプロフェッショナルの人達が寄ってたかって、それも主体的にもの作りに励む現場で、刺激的で、かつ勉強になりました。
松江でのロケでしたが、東京、大阪、広島、山口、京都などの各地から精鋭が集まっていたようです。

-----

「撮・照・美」という言葉が映画には、あるらしく、良い作品作りには欠かせないとのこと。写真を撮る人間として、今回の仕事で特に興味をひいたのは、映像のカメラマンさんと照明さんでした。

スチールの現場では(※映像系の現場では、カメラマンは映像のカメラマン、写真はスチールと呼ばれます)、「光」を判断するのも、絵を切り取るのも、フォトグラファーの役割りです。ですので、今回、分野は違えども、カメラマンさんと照明さんの仕事のぶりを拝見できるのはとても興味を深いのです。

で、どこに目が言ったかというと、写真表現との違いーーです。

写真で何かを表現する場合、「枠内に収める」「省く」きながら一枚絵に表すことを考えますが(※もちろん状況によりけりです)、映像だと(当たり前ですが動くので)ファーストビューで映し出すものから視線を流していき、別の風景にも意味付けするということができるのだと感じました。写真では、視線を移したあとの風景を一枚のみで、同様の意味付はできないですから、やはりそもそも「意図を持たせる」場合には違ったアプローチにならざるを得ないのです。
(というのも、リハーサルで似た風景を記録しているからより強く感じました。あくまで裏方の裏方としての活動となるので、普段よりも制限が強いというのもあります)
だから、広角レンズの使い方も当然ながら違ってきますね。映像だと「視野の広がり」をとても強調できるような気がしています。
・・・単に画角や構図という面でも勉強になりました。


----

写真の場合は、ライティング(lighting)はカメラマン自身(または、その指示の元アシスタント)が行う分野です。(照明専用の人がついているのは見たことないかな・・・レフ板とかも、編集者に持ってもらったりしちゃうし)。
場面場面のライティングの機微も面白かったのですが、写真と映像との違いをここでも感じました。それはやはりそもそも「時間軸」が存在する点。写真は「一枚絵」ですので、「今見えている」世界での絵作りになるのですが、映像は(まぁ、指摘されたら当たり前なのですが)シーン中に人が動くので、その都度、整合性が取れるように、稼動範囲やカメラワークを想定した上で「仕込む」こともします。動きのあるシーンでは、カメラマンと一緒にレフを持って動きますし、そうでなくても、演者が動いて振り向いたときに「光が当たっている」ということも大事です。
「どんな場面でも整合性が取れるように光が当たって——」と言うと「作りこんだ感じがしてイヤだ」という印象を持つ人がひょっとしたらいるかもしれませんが、ニュアンスは違います。そもそも写真などの絵を人見た時にリアルに(自然にと言い換えて良いかもしれません)見せるためには、そのままではダメなことがあるからです。
写真や映像で写す絵と人の目では「明暗」の見え方がそもそも違います——。それこそカメラが人が見たとおりに、そのまま再現できたらいいのですが、それができません。
例えば晴れた日に陽のあたる路地に基準を合わせて撮影してみると、木陰が目で見た印象よりも「すごく暗く写っている」なんてことはざらにあるのです。
普段、皆さんが見て、記憶しているものに近い形で「絵を作ろう」と思うと、光の強さを調整しつつ、「明暗差を少なくする」ということも大事なポイントになります。
僕が写真と撮る際は、目の前の風景とのギャップを楽しむことが多いのですが、仕事の内容によって使い分けることも大事で、要望や状況に応じて技術を選択的に提供できるということはプロであることの一つのファクターでもあり、今回のようなドラマだと、違和感を持たせないことがきっと大事で、そう考えると、本当に感心するばかりでした。

そして、現場では、人達に共通していたのが、「良いものを作るためには、労力を厭わない」というところです。費用対効果か等は常に考えてしまい時に効率化と質を天秤にかけてしまうこともある自分なので、躊躇なく実行する姿には思うところも多かったです。


「農ドル!」のサイトが更新されたら今回の写真をたくさん使ってもらえるはずなので、楽しみです。

限定的にならずに、曖昧な感じで投げかけられたら・・・『Let's go home.』について

そういえば写真冊子を発行した宣伝をしていないことの指摘を受けました。
確かに言われてみれば、熱海の会期中だったので特に宣伝らしいことしていないなーということで。


出版元・気天舎さんのホームページへのリンクです。

p-s-059.jpg


初めての人によく何を撮っているんですか?と聞かれます。
気分によって言い回しや前置きがすごく変わるのですが、
(ex.仕事か個人か、によっても変わります)
概ね最終的には、「人」に行きつきます。

で、この本を見てもらうと、「え? これって、風景ですよね」と反応されます。


まぁ、確かにその通りなのですが、僕が風景や静物を(個人として)撮るときは、
あくまで自分だったり、他の人の「心情」を表現したいと思っています。
(というか、その主観的な視線なしで、僕は自分の写真を見れない)

というわけで、結局は、僕にとってはあくまで「人」の延長であり、
広義では「人」という風に捉えています。

この本は、僕の大切な友人(先輩)の、大切な空間を撮ったものです。
だから、僕にとっては「人」なんです。人との関係性の中で生まれたものですから。

で、追記、ですが、この本に関しては、付加的なテーマも設けていて、
その友人にとっての大切に思う空間と同じものが、他の人にとってもあるとして、
この写真集を見たときに、自分の大切なものを思い起こすような感覚を持ってもらいたいな、という想いがあり、
だから、限定的にならずに、曖昧な感じで投げかけられたと(作者は)思っています。

写真展に便乗させていただきます

朽ち碑に傘』が参加するイベントSIGの個展に参加させていただきます。

Special Interest Groupとは、「特定の興味ある事柄について、その道の専門家の考えを聞いたり、メンバー同士が互いに知識や情報を交換する場」という意味を持っています。

ということです。

前回は当日にいけなかったので、次こそはなんとか!!
という風におもっちょります。

朽ち碑に傘のアメーバさんがサイトを作ったということですが、相変わらず格好良いデザインします。

梅田望夫氏の『ウェブ進化論』を読みました。②

梅田望夫氏の『ウェブ進化論』を読みました。②

この本の第4章の「ブログと総表現社会」でブログについて色々と書かれています。


ちなみに海外だとオピニヨン発信の場として使われるブログも、

日本だと日記的に使う人が大半を占めていて、それで当然のことながら

ブログ数やエントリーの数も多いけれども、玉石混交――。


しかし、以前であれば、プロフェッショナルである物書きにしか許されてなかった、

情報発信を皆が手軽にできるようになった。

その多くは「石」なわけだが、下手したら99%は「石」かもしれないが、
残りの1%の「玉」――それもネット以前の社会であれば、
そういう素質がありながら、
もしくは、自分の専門分野があり、執筆のために雑食のごとく分野勉強する俄か専門の職業ライターさんよりも
はるかに一家言ある方がネットを通じて情報発信できるわけです。

当然ながらそれは有益な情報であり、それが仮に1%あれば、
母体数がそもそも多いわけですから、大変な数の有益が情報が発信されることになります。

それは素晴らしいことですね。


・・・・・・
なんかこれって写真でも似たような感覚に陥ることがあるのですが、
それは例えば報道の写真です。

今や携帯カメラに(そこそこ)高性能なカメラがついて、日本人全カメラマン的な状態です。
現場にいち早く到達し、訴求力のある写真を撮影する、
プロの報道カメラマンの価値がもちろん損なわれるわけではありませんが、
本当の決定的な瞬間――それも世の中の所かしこで起こっている決定的な瞬間の場面に
決して数の多くないプロの報道カメラマンが、居合わせる可能性は決して高くありません。
(それが叶って決定的な瞬間を捉えると、ピュリッツァー賞を取ったりするわけですよね。
 …ちょっと語弊がありますけど、今回はご容赦を!)

それが日本人が全員「カメラマン」なら、決定的な出来事が起こったときに、
それが――たとえ稚拙でも――記録される可能性は極めて高くなります。
(報道は「きれい」よりも何よりも「写っていること」が重要ですから)。


これはブログで総表現社会になっている構造と同じことが写真の報道(...映像もそうかな?)についても言えるよなーと思った次第です。

p-s-017.jpg

写真のお値段の話③…著作権について

撮影を発注する人もカメラマンも自身もあまり考えてないケースが多いような気もしますが、発注された仕事の「著作権」はどうなっているんでしょうね。


フリーのカメラマンが雑誌編集部から発注を受けて撮影した写真の著作権は、まぁ間違いなくカメラマンにあるでしょう(契約書は交わしてないにしても)。

というのは、雑誌の場合、拘束あたりでペイが発生するというよりも、写真の使用枚数やページ数に応じて支払いが生じるケースが大半だからです。

これは、「カメラマンがもっている写真を、雑誌が拝借して使用権を払っている」という考え方に基づきます。

よって、雑誌等で同じ写真が再度使われる場合は、都度、支払いが行われます。
(Amanaとかのライツマネージもこういう考え方ですよね。多分…)

逆に、著作権がカメラマンに残らないケースはどんなケースか??

雑誌社や新聞社に所属するカメラマン――社カメと呼ばれる人たちの取る写真の著作権はカメラマンではなく、所属する会社に買い上げられていることになります。

新聞社は今はデジカメが主流ですので、元のデータはカメラマンの手元にも残りますが、フイルムで撮影していた頃は、会社にフイルムを全て回収されていたでしょうし(所属してなかったで推測ですが…)、その写真が再度使われることになっても、写真の使用料が支払われることはありません。

会社組織にしてみれば、著作権管理にイチイチうるさい(まぁ、多くのフリーカメラマンは立場が弱いせいもあり、結構な融通を利かせますが…苦笑)フリーのカメラマンよりも、そりゃ社カメを使うでしょう。作家性が求められなければ特に。

まぁ写カメも著作権が残らない代わりに、逆に色々な経験が積めたり、月々固定のサラリーで生活の安定は保証されるわけですが。。。

次に時間拘束で値段設定をしている場合――。
これはちょっと色々と議論の余地がある思うのですが、
私なんかは、WEBサイトで使う写真の撮影を依頼されることが割と多いです。

この場合、問題なのは著作権の管理です。
たとえば、紙媒体は基本的に一回印刷してしまったらそれっきりです(とはいえ、一般図書は、増刷されても写真集でもない限り再び入金されることがありませんが…)。
ですが、WEBに関しては、下手したら半無期限に掲載され続けます。

芸能プロダクションなんかはそこらへん(割と)しっかりしたもので、ワンクール(≒3ヶ月)ごとでタレントさんの肖像権の値段設定をして、掲載期間が長くなればその分のペイを発生させます(テレビでの管理をそのままWEBにも適用させたということでしょうけど)。

逆にこれと同じことを、そこらへんのカメラマンがうるさく言ってたらまぁ残念ながら仕事は来ないでしょうね。
ので、「基本的にずっと使っても大丈夫ですよ」的な融通を(敢えて言いませんけど)利かせています。

まぁタレントさんの場合、「肖像権を提供」(→プライベートとトレードオフでしょ?)していて、「タレントさん自体が年を取っていく」し、ずっとひとつの媒体に掲載されていたら、その間「同業他社の広告に出演できない」などの問題が生じるので、期間で厳密に管理するのは当然といえば当然で、カメラマンが自分の写真の掲載に融通を利かせても直接的なデメリットはないので(むしろメリットあり?)当然といえば当然かもしれません。


さすがに1日拘束数万円とかで著作権を放棄しろとまで言われると反発しますが、
ECサイト用の撮影やパーティの記録撮影とかお願いされて撮ったものの著作権までも死守しようとは(私個人は)特に思わないので、そこらへんはもう、たとえば、使用枚数ではなく、時間拘束を単位に値段設定したりします。時間単位でお金をもらっているということは、その間の労働に関しては権利買い取りということになるでしょう。

敢えて時間単位でそこそこ高めに設定することで、「好きなだけ使ってくださいね。(納品枚数のボトムラインを設定してはいますが)可能な限り写真も提供しまっせ~」という感じになります。こっちも生活がかかってますから、どうせその日1日つぶれるのであれば、2時間だけの拘束よりも、そこそこ枚数を納品しますから5時間拘束してもらって、ギャラをあげてもらう方が僕はいいです。

作品作りと仕事を別にするのであれば、仕事のギャラが高いほうがプライベートの時間も作りやすいですし、お客さんと互いに歩み寄れたほうがお互いに益ですもんね。

同業者で何が何でも著作権は自分のものだってスタンスの人もいますけど、仕事の受注形態を見るに必ずしも著作権を主張できないでしょ?って突っ込みたくなるような人もいます。

カメラマンとして絶対に権利を死守したい場合もあるわけですから、写真で食っている人は絶対に一度考えたほうがいいですよ。仕事面でもメリハリつけないとですよ。

p-s-015.jpg

写真のお値段の話②…(意義があるなら)

この前、写真の値段を設定しよう的な投稿をした後でなんなのですが、

写真の仕事をする上の三軸は、

  1. 意義を感じる
  2. 名誉になる
  3. 金になる

のいずれかが総合的に自分の設定値を超えるかどうかではないかと思ったりもします。

カメラマンをやっていると、
周囲から「好きなことを仕事にできていいですね」と
言われたりしますが、
好きなことを仕事にしていても必ずしも「好きな仕事」だけができるわけではなく、
それこそ好きでもない仕事をしなければいけないこともあります。

で、その時、基準になるのではないかと思っているのが、上記の3つの総合かなぁと。
(もちろん、全てを満たす仕事ができれば全く問題ありませんよ)

たとえば雑誌や広告の仕事は、カメラマンにとって
「名誉になる」
という点で、(仮に)お金にならなくてもやりたいという人は多い。
(まぁ、広告とか金銭面でも大きいですが)

仲の良い友人が結婚するのでその写真を撮るなんてケース、
写真家人生として作品作りのためにお金にならない撮影をする、などは
「意義を感じる」
ということでしょうか。

まぁ、
「お金になる」
は言わずもがな。
自分としてはそんなにやりたくない仕事も生活にためにやることはあるでしょう。

上記3つの兼ね合いかなーと思います。
p-s-013.jpg

写真のお値段の話

  • 2007-09-14 (金)

写真の仕事をやっている人に共通して抱えているのが、

「撮影を依頼されたときにいくらで見積もりを出すか?」

という問題だと思います。


カメラマンと仕事し慣れている雑誌社などだと値段が、
既に決まっているので、それに準じれば済むのですが、

カメラマンなんてやっている人の大半が、
そもそも写真を撮るのが好きでやっているような、
プレイヤー志向の人が多いものですから、

知り合いから写真の仕事を相談された場合に、
生活が苦しいのに!!と思いつつも、廉価な額を提示してしまうのです。
「まぁ、資本はカラダひとつなんで・・・」と言いながら。


それはそれで大変好感が持てますし、
自分でもやってしまうのですが、、、
実はあんまり好ましい行為ではない!とも思っています。。。

  1. カラダが資本ってあんた。カラダ壊したら来週から収入がなくなるような職業ですよ?
    第一、カメラ・パソコンなどへの設備投資、自分の住んでいる場所(≒事務所?)の固定費用が
    そもそもかかっているのに、それを加味してないケースが多いこと。
    (言ってみれば自営業ですYO?)
  2. 名の売れたカメラマンでもない限り、基本的に仕事が少ないから、
    お金がほしい以上に仕事をやりたい!という欲求が強くなり、
    ついつい「かなり」安めの設定をしてしまい、他の駆け出しカメラマンの相場までも下げてしまっているかもしれないこと。
    (ただ、これはカメラマンの腕なんかによっても値段相場が変わるものでもあるので難しい。。。)

広告などの規模の大きな撮影になると、カメラマンの「名」と「腕」が値段設定に反映されるのですが、

そうではない写真――。
それこそ名もないカメラマンが知り合いから個人的にお願いされるような仕事――。
ECサイトや企業のリクルーティングに使いたいような写真、ブライダルフォト(これは異論ありかな?)などは、
カメラマンの「名」(≒そのカメラマンであること)よりも、
「ある程度のクオリティ」と「コスト」が重要視されるでしょうから、
「アウトプットが明確であること」と「値段が明確であること」が必要になります。

お客さんに「いくらですか?」と聞かれて、「えっと、一万円でいいですよ。。。。」とか言ってしまいがちですが、
(もう一度いいますが)やっぱり良くない。

自分の中である程度の値段表をシチュエーションやケース、著作権管理の方法で分類して、
値段設定をしておくべきでしょう(一応、僕はしてます)。
ちゃんとした値段表を見せると相手は意外に納得してくれるもので、
その上で、「●●さんなので、●●%引きで」というような話になります。

前もって値段が決まっていたら、相手も納得の上でですからトラブルもおきにくいですよ。
(契約書まで交わすとなるとまだ抵抗が強いかもですけどね)


p-s-010.jpg

BlogTop > Memo > about Photo

Search
Feeds

Page Top